人民現に対してどのような案が出されたのですか?
2003年9月20日にドバイでG7が開催されるのを前に、アメリカ、日本、ドイツの3か国で実務者レベルの会議が開かれました。これは、安すぎる中国の人民元への対応が目的でした。
当時、世界中に出回っていた安いコストの中国製品は、各国の製造業者の価格競争力を弱めるだけでなく、デフレを助長しているという批判が多かったからです。
特に、アメリカの貿易収支赤字の大部分を中国が占めていたので、アメリカ政府や議会は中国の人民元が安く放置されていることが元凶であると結論づけたのです。
そこで、アメリカのテーラー財務次官は、ドバイのG7会議で中国政府が柔軟な為替政策に転換することを促す趣旨を共同声明の中に盛り込もうと考えたのです。
この3か国の実務者協議は、G7の当日まで続き、話し合いでは「柔軟な為替相場(flexible exchange rate)」を求める方向でまとまったものの、本会議では欧州中央銀行総裁から「為替相場の一層の柔軟性(more flexibility in exchange rate)」という表現に変える案が出され承認されました。
日本への影響は?
当時の日本はデフレ脱却の途中であり、円が強くなることを恐れて大量の為替介入を行っていました。
ですから、「為替相場の柔軟性が望ましい」という文言は、人民元に向けられたものとはいえ、日本の大量介入への批判ともとられてしまいました。
ドバイG7会議は成功したのですか?
ドバイG7会議は、人民元の管理された固定相場を崩そうと画策したものでしたが、結果的には失敗に終わったといえます。
ちなみに、この会議後、ユーロは米ドルに対して円よりも強くなっています。 |